魔法の言葉
人は人、自分は自分という考え方ができない人
皆さん、こんにちは
光のカウンセラーのホロです。
久しぶりに質問箱に質問が来たので、こちらに答えていきたいと思います。
人は人、自分は自分とうまく割り切ることができないと悩んでいます、との事ですが、あながちそれが悪いことと考えるのもちょっと違うと思います。
そういう人は共感性がとても高い人ということです。
そもそも共感性が高いというのは、具体的にどんなことなんでしょう。
- 周囲の人の感情を、自分自身の感情であるかどうように錯覚してしまう。
- 相手の必要としてることがわかって、上手く手助けすることができる。
- 悪いことだけでもなくて、人の幸せを自分のことのように喜ぶことができる。
- 人の感情と敏感に感じることがあるので、空気が読める。
こういった特徴があると思います。
言ってみれば、他人の感情を察してあげられるプロフェッショナルということです。
こう考えれば、共感性も悪くないなと思えるのですが、ではなぜ、共感性の高い人は悩んでしまうのか。
これは周りの人の沢山の人達の感情を理解できるので、自分の中にその感情が入り込んでしまうからです。
周りの人がすべてハッピーならまだいいのですが、そうではない場合の方が、現代社会は多いですよね。
そうなってくると、負の感情、まで、自分の心の中に取り込んでしまいます。
他人の悩みや負の感情を引き受けてしまい、それを考えることがその人にとっては普通の出来事なんです。
共感性がさほど高くない人は、人は人、自分は自分と割り切って忘れることができます。
ですが、共感性の高い人は、この忘れるということをとても悪いことかのように罪悪感を覚えてしまうのです。
ここで自分がその感情を投げ出したら、その人にとって失礼なんじゃないか、それはとてもいけないことなんじゃないかという思い込みが発生してしまいます。
では、そういう人は一体どうしたらいいでしょうか
この場合、非常に有効なキーワードがあります。
「今日は」という言葉です。
仕事の終わりや、1日の中で一区切りがついたあたりで、「今日」はこのことを考えるのもうやめようと考えるのです。
この、「今日は」という言葉を使うことで、自分はこれを投げ出しているわけではない。無責任に忘れるわけではないという風に思うことができます。
この魔法の言葉、「今日は」は、レストランに行って、メニューを悩んでしまう人にも効果的です。
レストランでなかなか自分が食べたいものを決められない人は、自分が選んだ物以外のメニューが、それよりも美味しかったらどうしようか、自分が選んだものがそんなに美味しくなかったらどうしようかということに苛まれます。
だから、メニューを選ぶ時に「今日は」このパスタにしてみようと、使ってみるのです。
そして、選んだメニューが思いのほか美味しくなかった場合も、「今日は」失敗してしまったなと呟いてみてください。
この、「今日は」という言葉を使うことで、共感性の高い人や失敗を過剰に恐れてしまう人、そういう人のストレスを多少なりとも緩和することができます。
いかがでしたか
共感性の高い人や失敗を過剰に恐れてしまう人の共通点は、物事を考える時に、ゼロか百かというような二者両極端の考えに陥りがちです。
また意見をコロコロ変えるのもとても苦手です。基本的に責任感の強い人達ですから。
ですが、「今日は」こっちを選んでみようと考えることで、考え方に少し柔軟性を生むことが可能です。
ぜひ、試してみてください。
それでは、今日はこの辺で。